禁煙53日目、そして次のステップに…
欲求の先にある現実【禁煙35日目】
こんにちは。なかやまです。
仕事が慌ただしくなったり、最近産まれた子供のお世話などで更新が滞っていました。時間を見つけて書いていければと思います。
書いていない間も、このブログを見てくれる方がおり、嬉しく思います。このブログを見る事で、何かを感じて貰えると幸せです。
まず、最初に載せている風景画ですが、これは北海道にある美瑛の丘、という所です。
美瑛時間:美瑛町観光情報サイト
美瑛町は近隣の富良野市と共に北海道を代表する観光地として知られる。丘陵風景と花の風景が人気で、北海道外からの移住者も多い。
美瑛の丘にはたくさんの観光スポットがあり、テレビCMやドラマなどで使われてきた絵のような美しい風景が広がる。
こういう、自然の風景は本当に心癒されますね。皆さんは如何でしょうか?この自然の中に自分がいる事を深く想像すると、一瞬だけでも心が軽くなるような、悩みもちっぽけに思えるような、そんな気持ちになれます。また風景画シリーズやらせて頂ければと思います。
さて、先ず最近の日常ですが、子供のお世話は週末がメインにはなりますが、日々奥さんが自分の時間を割いて子供達に接しているので、週末はゴロゴロ休みたい!と、いうのは今はナンセンスな話ですね。でも「自由がなくて辛い!」なんていうネガティヴ感情はあまりなく、小さい子供2人に囲まれて、触れ合えて幸せだな、という気持ちの方が強く感じます。そして、子供2人の成長の一部として関われる事を嬉しく、そして誇りに思います。
今の私の幸せ基準は、子供の存在や成長、家族の存在、そして無くてはならない奥さんの幸せが基本となっています。
じゃあ自分自身での幸せは?という話になりますが、もちろん全くないわけではありません。欲を制限する生活をしている中でも、色々な欲求は出てきてしまいます。ここは一旦、人間として欲求は仕方ないと考えるようしています。
少し話がそれましたが、自分自身の幸せはあります。物欲や、食欲、そして仕事をしているので承認欲求はあります。でも子供達を育て、見守れる事と比較したら見劣りしてしまいます。
また世間を見渡せば、今は色々な娯楽があります。万人に向けて、それぞれの欲求に引っかかるように満遍なくあります。そしてその欲求はインターネットの普及や、WEB上でのサービスの充実に伴い、何処にいても、お金と時間があれば欲求が叶いやすくなっています。
私は、その欲のレベルと、達成難易度のレベルが低くなってきている、そして達成感覚の持続性が皆無になるために、また次の欲求が生じている。そして、その欲求の方向性が正しいかもわからずにのめり込む。そんな気がしてなりません。また欲のレベル低下の話はまとめたいと思います。
タイトルに戻りますが、欲求の先には、次の欲求しかありません。自分が断ち切るまでエンドレスに続きます。欲求のレベルの話をしましたが、その欲求達成は自分の成長の為に無駄では無いのか、周りのみんなが幸せになれるのか、そんな事を考えていけたら、幸せをより感じられるのでは、なんて考えてみました。
ただ、この欲に溢れた世界は1度出来上がった以上、変える事は困難です。では何が私たちに出来るのか。それは取捨選択だと思います。
自分自身が、日々を懸命に生きるため、将来を見据えて日々何が出来るか、より考えた上で、生活する。無駄な時間を過ごしていないか。そんな考えで私も行けたらと感じます。
奥さんが、日々子供の世話をして、自分の時間もなく、本当に大変そうながらも幸せを感じている姿を見て、この記事を書きました。
禁煙も気づけば35日目。小さな、欲求→達成→欲求の、負のスパイラルは抜け出せそうです。
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欲を制限する事で得られるもの 2016.10.4現在【禁煙27日目】
こんばんは。なかやまです。
タイトルにもありますが気づけば禁煙27日目、早いものです。でも、全く辛くもなく吸いたくもなく、身体の調子が良いだけです。
以前、このような取り組みの報告をしました。
前回も伝えましたが、欲を無くすのではなく、制限しているので、最低限のご飯や、買い物はしています。「ぜいたくは敵だ」に近い感覚で、嗜好品などは一切買っていません。
そして、欲を制する事にあたり心がけている事があります。それは、我慢をするのではなく、無になる事です。我慢する、というのはその行為の大前提に(欲を)我慢する、というように欲望ありきの行為なので、なるべく行わないようにしています。最初は我慢している事も慣れると、我慢しなくても成し遂げる事ができるようになります。これ、タバコを止めるのと同じ考えですね。少し話が逸れましたが、無になる事は極めて難しいです。仕事等を行うにあたり、完全に"無"にはなれませんが、出来るだけ無の状態を創るようにしています。
無というのは、最初の画像にもありますが、静かな空間で、水面に水滴がしたたり落ちる…そんなイメージを脳が支配しています。そのイメージの中心に自分がいて、周りに人が居ても居ないように感じ、自分の存在すらも無に帰す…。上手く伝えられたかはわかりませんが、このイメージを深堀する事により、頭の中がすっきりするような、そんな感覚を私は覚えました。まだ勉強した事はありませんが、瞑想に近いものではないかな、と思います。これは電車の中でも出来ます。電車であれば、私は、カナル型イヤホンを使って静寂、無を作り出します。
さて、本題です。欲を制限するために無を作り出す習慣を行い、何が得られたか。それは感情コントロールと集中力です。
まずは感情コントロールです。無を作り出す事で、無駄な一喜一憂はなくなりました。これは単純に暗くなったのではなく、あくまでコントロールできるようになっただけであり、周りの人の反応などには通常通り対応できます。感情が多少コントロールできるので「疲れたな」や「面倒くさい」と感じても、それを殺して、無にして対応ができます。まだ完璧にできるわけではありませんが、心を無にすれば一定のパフォーマンスが出せる、という事がわかった、ロジックが見えただけ有益だと考えました。
次に集中力です。心を無にするので、真っさらな状態になります。よって、その状態で入ってくる情報はとても新鮮であるため認識しようとするパワーは強いと考えます。また、雑念などが無くなっているために、その情報の事を追及するようになります。現在はデスクワークを行っており、どうしてもルーティンだけど必要な業務、というのが発生しますが、無を作り出す事で淡々と仕事が行える事で、業務パフォーマンスがあがっているなと感じました。
いかがでしょうか。欲を制限する事で、欲を我慢する、という行為をやめようとするために無を作り出すようになりました。そのために感情の大きな起伏を感じる事なく、そして他者と比較して優劣を付けたりする事もなく、非常に穏やかな気持ちで居られており、かつ仕事にも集中して取り組めている状況です。よって、【欲を制限する=業務パフォーマンスのアップ】という図式が成り立っています。欲を制限する事により、業務効率を上げたい!という欲が叶っています。
このことから、まだまだぼやけていますが、身近な欲を制限する事により、自分にも意図しない大きなリターンが返ってくるのではと考えました。また欲を制限する事を続けてみようと思います。
克己復礼
私事ですが、最近家族が増えました。赤ちゃんです。それはもう、可愛くて可愛くて仕方ありませんが、まぁいかんせん泣きます。そのため、寝不足でブログも中々かける元気もなく今に至ります。
赤ちゃんが泣くだけなら、それはまだ良いのですが、つられて上の子も泣いちゃったり、赤ちゃん返りしたりして、家に帰ってもてんやわんやです…。奥さんの大変さを考えると本当に申し訳なく、そしてありがたい気持ちで一杯です。
このような状況、皆様から見ていかがでしょうか。人によっては自由が無くて可哀想、趣味に没頭する事もできない、など「辛そう」というイメージを持たれるかもしれませんが、私は心から幸せであると断言できます。まぁ少し寝不足なのきついですが…それ以上のリターンが大きすぎます。
子供が出来て、皆さんはどういう気持ちになるorなってしまうと思いますか?私は、産まれるまでは全く想像できず、可愛がれるのかなぁと心配までしていましたが、産まれたとたん、我が子の大ファンです(笑)
自分に似てるのもあるのかもしれませんが、まぁ可愛い!目を開けただけで、可愛くて幸せ、ミルク飲んでる姿で幸せ、げっぷが出て幸せ…、産まれるまでは想像も着かない程の幸せを感じています。
結婚して、子供が産まれるまでわかりませんでした。自分に何か直接的なメリットはないにも関わらず、こんなに幸せになるとは。
ここで、私は感じています。自身のみの欲望解消は、幸せレベルとしては大変低いのではないかと。色々な人達と関わり、多くの方、いわゆる自分だけではなく他者の幸せそして成長を感じる事の方が幸せレベルは高いのではないかと。
色々な幸せの形があり、他者の幸せを指摘するような権利はもちろん私にはありません。生き方の1つとして、参考までに書き留めました。上手く書けずに申し訳ないです。
さて、ここでタイトルの「克己復礼」です。意味はこちらです。
「私情や私欲に打ち勝って、社会の規範や礼儀にかなった行いをすること。 」とありました。この言葉を見つけた時は、本当に過去の先人達はすごいなと、私が欲を抑えて成し遂げたいゴールを四字熟語で既に表してくれました。
この、克己復礼の精神と、他者の幸せを願う気持ちと、行動力。この3つの熟練度があがり、1人でも多くの人がこのような考えで生きていければ、より幸せな世の中になるのかなぁ、なんて考えました。色々あると思いますし、綺麗事かもしれませんが、私はオススメしたいです。
シンプルに、何かを耐え忍んでる方って魅力感じませんか?私はそういう人間になってみたい。そして周りがどう変わるのか感じてみたい。もちろん仕事などで言わないといけない事は言いますが、それが単なる我儘にならないように心掛けます。
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【検証】欲を故意に制限する事で幸せを感じられるか
こんばんは。なかやまです。
タバコをやめて20日経ちますが、イライラしようが何しようが『タバコ吸いたいな』という気持ちは無くなっています。先日のブログでもお伝えしましたが『たばこやめてよかった!』という気持ちが全面的に出ています。
タイトルにもありますが、以前の私は【タバコを吸う=欲求】の一つでした。この欲求はすぐに叶う反面、お金が無くなったり、体調が逆に悪くなったり、大きな幸せに直結してはいませんでした。すっぱり止めた方が、良い事ばかり起きています。
私はここで考えました。欲の種類に関係なく、【欲を制限する=幸せを感じる】ことになるのでは無いかと。なので私は、欲を故意に制限する事で、思考回路がどのようになり、その結果がどう結び付いていくのか、我が身を持って体験したいと思います。
故意に欲を制するとは?
欲を制する際は、制するにあたる理由が存在すると考えます。
食欲を制する際は、健康になりたい、太ったから痩せてかっこよくみられたいなどが、食欲を抑える理由・目的となります。
要は、理由や目的は後から見出すものとし、先ず、欲を抑える作業、それを【故意に欲を制する】と呼ばせて頂きました。よく、「欲を抑えるためにどうしたら良いでしょうか?」という質問などの記事を見ますが、欲を抑えるのは大前提として進めるようにします。
今回制する欲は?
・物欲
・食欲
この2欲で対応していこうと思います。先程も記載しましたが、先ず欲を無くす事。物欲⇒欲しがらない、食欲⇒食べたがらない、このことを順次守ってまいります。生きていく上で最低限の食事や買い物は行います。決して断食記録やノーマネー生活では無いので、予めご了承下さい。
制欲期間は?
1ヶ月で考えていきます。この1ヶ月感は取り合えず目的なく、物欲と食欲をできるだけ禁じて行きます。禁じていく事が目的です。
さいごに
何故こんな事を行うのか。それはこの世の中が欲で満ちていると考えるためです。欲を追及する事は、人間として当然の行動なので、そこに対して私が異議を唱える事はしませんが、あまりにも簡単に【欲求⇒達成】のスピードが多いものが多いのでは、と私は思います。
お腹が空いた⇒コンビニ、知りたい事がある⇒インターネット、あれが欲しい⇒インターネット、髪が切りたい⇒ネット予約、連絡が取りたい⇒LINE等のSNS、認められたい⇒Facebook、インスタ…。文明の発達と共に、欲求の解消が非常に簡単になっているにも関わらず、幸せレベルは過去に比べてとても高くなった!と思える人がその文明レベルに見合っていないと私は感じます。幸せレベルを高める(決して幸せに感じるハードルを低くする、という意味合いではない)ための施策として、引き続き閲覧頂けると幸いです。これからもよろしくお願いします。
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私について
先ず、私の自己紹介をします。
何故、『こころ、穏やかに、感謝』というブログタイトルをつけるに至ったのか、皆さんにお伝え出来ればと考えます。始めから、このような感情を持っていたわけではありません。どちらかと言えば『こころ、いつも刺激的に、自分だけ』という考えの方が強かったかもしれません。人生のターニングポイントを振り返り、案内出来ればとかんがえます。
父の死
先ず、最初のターニングポイントは父の死です。小学生高学年の時に父親を亡くしました。今ではあまり思い出はありませんが、当時はとても悲しく、周りは更に悲しがっていたと思います。
多くの方が葬式に参加し、自分の父親はこんなに多くの方に知られており、そして好かれていたのかと、子供ながらに驚き、そして自分が死んだ時に、ここまでの人が来てくれるのだろうかと感じていました。私にとっては当時も今も偉大な父でした。
父が亡くなり、母親とともに祖父の家周辺に住むことになりました。今、思い起こせば、この時期から将来や夢に関して考える事も、想像も出来なくなっていました。父親が生きているころは、その職業になりたい!と子供ながら思っていました。警察官でした。ただ、意識すればする程、私の持病である色弱が壁にぶち当たりました。何とか母親も治そうと色々してくれたのを覚えていますが、その金銭的な労力も含めた努力はかないませんでした。
なので、偉大であった父親が無くなり、なりたい職業にもなれない、そんな中で私は長期的な目標や、将来に関して考える事を避けていたように思えます。
不自由のない生活のデメリット
生活は、何不自由なく、父親の生前での対応(生命保険)などもあり生活できていきまいた。母親もパート等を行い、生計を立ててくれました。今となっては大変ありがたいことですが、この父親のいない何不自由ない生活が、リアルな仕事に対してのイメージを全く働かせる事ができず、大学に何となく入り、なんとなく社会人になります。
社会人まで到達するにあたり、私は父が居なくとも成長出来た、母親になんとなく心配はかけたくない、そんな気持ちだけで生きてきたため、社会人として何がしたいのか、どうしたいのか、などのビジョンは全く見えずまま日々を過ごしてきました。卒業して働き出しても、何がしたいわけでも目標があるわけでもなく、ただ頑張ろうという気持ちだけで過ごしていきました。
リーマンショック
そして先ず人生のターミニングポイントが来ます。それはリーマンショックです。不動産関連で働いていたため、直接的にダメージを受け、退職を余儀なくされました。そしてタイミングよく転職が成功しました。若さと表面上のやる気だけが成功したのだと当時は思います。
この「表面上のやる気の良さ、真面目さ」が当時の私は、薄っぺらい内容ですが、これが強みであると考えていました。今となっては、これはマイナスでしかないと思っていますが、この薄っぺらい自分がいなければ今はありません。
立ち上げ部署への移動
そして転職してしばらくし、この会社で部下やアルバイトの管理を行う事になりました。今までは営業で、数字に追われていましたが、営業ではない部署で管理職となり、正直何が仕事のゴールなのかが全くわかりませんでした。営業のころは、達成目標があり、そこに対して進むだけでしたが、ここでのゴールは、いかに生産性を上げる事ができるのか、という事が評価ではりましたが、明確なゴールは会社から示されませんでした。
ただ、新規部署という所もあり、自分がやらないと業務が回せない、自分が管理しないとこの部署は終わると感じ、一生懸命取り組みました。自分がが必要とされている感覚が辛くもありましたが、やりがいを感じる場所でもありました。
そして、しばらくして軌道に乗り始め暫くした時に、自身の待遇に不満を持つようになってしまいました。友達などとお金の話をすると、営業職の人間が多かったからか数字もよく、私はこんなに頑張っている、いなければ業務も回らないのに、という気持ちが多くなり、それから、部下やアルバイトには高圧的になり、不平不満をよく口にするようになりました。
投資(株 為替)との出会い
自身の労力に対して、評価が少ない。他人が介在すると自身は活きない、もっと成功している人間はこの世にもっといる、私もそこの一員になりたいしなれるはず、と考えるようになった時に、自身で何かお金を生み出す事は出来ないかと考えていたら、株、為替に出会いました。仕事をしながらもできるという謳い文句から、始め、最初は勝ったりもしていましたが、負ける事も多くなってきました。最終的に、多くのお金が吸い込まれ、今に至ります。また詳細はお話しできればと思いますが、結論、人間一人でお金を生み出す行為は、死ぬほど難しいのだと感じる事ができました。
投資から学んだ事は、多くの人間が介在すればする程、お金は増えていく。自身の幸せだけを考えていても幸せになれない、生きているのは周りの人々のおかげである、幸せの物差しはお金ではない、という事を学びました。投資で成功しなかっただけの僻みにしか聞こえない人もいるかもいしれません。ただ、私は金儲けが=人間としての幸せには繋がらない事を投資から学びました。
子供との出会い
今、2人自分の子供がいますが、本当にもう可愛くて仕方がありません。子供が生まれ、生きていくにあたり、本当に多くの人達のおかげで生きていけていると実感し、そして私の幸せは、お金や権威ではなく、子供の成長であると確信するようになりました。子供が生まれて、生きて、成長していく姿には、周りへの感謝の気持ちしかありません。
私という人間は
私は、どこにでもいる人間より能力が乏しい状態でずっと生きていたと思います。ただ、今を振り返ると全てが経験して良かった事です。『こころ、激しく、自分のみ信じる』このような時期も確かにありましたが、この期間は完全にしくじっています。でも失敗から、『こころ、穏やかに、感謝』この境地まで達しました。この考え方で全てが上手く行きます。仕事も楽しくなりましたし、前向きになりました。どんなにコンピュータやAIが発達していっても、ヒトが中心になって生きていく事はここ数世紀は変わらないでしょう。よって、どのような事柄にも相手にも、穏やかに感謝していく事を追求していけば、必ず良い結果になる!そう確信して今を生きている人間です。
こういう事もあり長く続けていたタバコもスパッと辞められました。穏やかに、他人を思う強い気持ちがあれば、そして、その気持ちがよこしまな気持ちでなく正しいものだったら、必ず思いは叶います。その事をブログを通じて発信していければと思います。
それではこれからもよろしくお願い致します。
■このブログの説明↓
こころ、穏やかに、感謝。
こんばんは。なかやまです。
今まで禁煙ブログとして続けていましたが、本日より総合的なアウトプットブログとして続けていきたいと思います。
ブログ名変えました。
以前の『禁煙、それは成功への道!?』から、変更します。その名は、
『こころ、穏やかに、感謝』
世の中に起きている事を、こころ、穏やかに、感謝する心を持ちながら読み解き、私なりにお話しが出来ればと思います。そしてその話を聞いて、少しでも読んでくれた方の心に、魂に、響くものでありたいと考えています。
何故、このブログ名にしたのか
ブログを始めて、様々なブログを見るようになりました。素晴らしいブログも沢山ありました。出会えてよかったブログもいくつもあります。でも、最近のブログの流行りはまさに炎上だと、私は考えます。
何かor誰かに故意に攻撃を行い、その行動そして発言で注目を集めます。人気ブロガーと言われる人や、多く記事を読まれている人は少なからず行っている行為ではないかと。攻撃を受けた有名ブロガーなどは、それをネタに記事を書き、集客を行います。出る杭は多くの注目を集めます。
マーケティング手法としてはありかもしれませんが、炎上商法は人として胸を張って生きれる行為なのでしょうか。炎上は確かに人の気持ちを揺さぶります。人と人との抗争は、残念ながら好まれる傾向にあります。人が集まれば、何かしらマネタイズになります。でも、その人の集め方が、私は間違っているような気がしてなりません。結果だけではなく、そのプロセスも大事かと。
そんな殺伐とした現状だからこそ、人の暖かさや、穏やかな気持ちから魂が震えるような記事を書いていきたい。その思いからこのブログ名をつけました。ドメインは今後変えていく予定です。
これから
どうぞ改めてよろしくお願いいたします。皆さんが穏やかな幸せを感じられるよう、ブログにて発信出来ればと考えています。