【検証】欲を故意に制限する事で幸せを感じられるか
こんばんは。なかやまです。
タバコをやめて20日経ちますが、イライラしようが何しようが『タバコ吸いたいな』という気持ちは無くなっています。先日のブログでもお伝えしましたが『たばこやめてよかった!』という気持ちが全面的に出ています。
タイトルにもありますが、以前の私は【タバコを吸う=欲求】の一つでした。この欲求はすぐに叶う反面、お金が無くなったり、体調が逆に悪くなったり、大きな幸せに直結してはいませんでした。すっぱり止めた方が、良い事ばかり起きています。
私はここで考えました。欲の種類に関係なく、【欲を制限する=幸せを感じる】ことになるのでは無いかと。なので私は、欲を故意に制限する事で、思考回路がどのようになり、その結果がどう結び付いていくのか、我が身を持って体験したいと思います。
故意に欲を制するとは?
欲を制する際は、制するにあたる理由が存在すると考えます。
食欲を制する際は、健康になりたい、太ったから痩せてかっこよくみられたいなどが、食欲を抑える理由・目的となります。
要は、理由や目的は後から見出すものとし、先ず、欲を抑える作業、それを【故意に欲を制する】と呼ばせて頂きました。よく、「欲を抑えるためにどうしたら良いでしょうか?」という質問などの記事を見ますが、欲を抑えるのは大前提として進めるようにします。
今回制する欲は?
・物欲
・食欲
この2欲で対応していこうと思います。先程も記載しましたが、先ず欲を無くす事。物欲⇒欲しがらない、食欲⇒食べたがらない、このことを順次守ってまいります。生きていく上で最低限の食事や買い物は行います。決して断食記録やノーマネー生活では無いので、予めご了承下さい。
制欲期間は?
1ヶ月で考えていきます。この1ヶ月感は取り合えず目的なく、物欲と食欲をできるだけ禁じて行きます。禁じていく事が目的です。
さいごに
何故こんな事を行うのか。それはこの世の中が欲で満ちていると考えるためです。欲を追及する事は、人間として当然の行動なので、そこに対して私が異議を唱える事はしませんが、あまりにも簡単に【欲求⇒達成】のスピードが多いものが多いのでは、と私は思います。
お腹が空いた⇒コンビニ、知りたい事がある⇒インターネット、あれが欲しい⇒インターネット、髪が切りたい⇒ネット予約、連絡が取りたい⇒LINE等のSNS、認められたい⇒Facebook、インスタ…。文明の発達と共に、欲求の解消が非常に簡単になっているにも関わらず、幸せレベルは過去に比べてとても高くなった!と思える人がその文明レベルに見合っていないと私は感じます。幸せレベルを高める(決して幸せに感じるハードルを低くする、という意味合いではない)ための施策として、引き続き閲覧頂けると幸いです。これからもよろしくお願いします。
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